マインド

日本の教育は教育ではなく「調教」じゃないですか 1/2

目安時間 4分

こんにちは、ゆうしんです。

 

日本の教育について思うところがありまして、
ちょっと語ってみたいと思います。

 

僕ははっきり言って失敗してると思うんですよ。
日本の教育制度ってものが。

 

「何かに依存して生きる人間」量産するための
制度としか思えない。
教育の名に値しない。とすら思います。

思考停止・服従を「成長」とみなす教育

思い返してみてください。

学校の勉強や行事。
校則を守ること。
先生の長い説教を聞くこと。

これらを「何のためにするか?」という
“意味”を考える機会を、どれくらい与えられたでしょうか。

 

僕はほとんど記憶がありません。
すべて「そう決まってるから」と問答無用で
従わせるばかりでした。

「何のために」とかそんな“余計なこと”は考えず、
用意された課題を黙々とそつなくこなす子供が
「優秀」と評価されました。

 

「これって意味ないんじゃないか」
「先生の言ってることは間違ってるんじゃないか」

などと疑いを持つ子供は「反抗的」とみなされ矯正される。
(僕もその一人でした)

いち早く「適応」した周りの生徒たちも
それを助長します。
「決まったことに文句を言うな」
「わがままを言うな」
「空気読め」…

 

かくして、和を乱さず、黙々と義務を果たす
立派な「いい子」の出来上がりです。

 

いかに自分の考えを捨て、「決まったこと」に
服従できるか。

それが日本の教育における「成長」です。

教育の名に値しない「調教」

これが果たして教育と呼べるのでしょうか。

教育って、大人に依存して生きている子供を、依存から脱し
「自立して生きる力を身に付けさせる」
ためにするものでしょう。

 

なのに、小・中・高・大の16年間の教育を受けて
できあがるのは、

「企業に就職しないと生きていけない」

「正社員と結婚しないと生きていけない」

「老後は年金がもらえないかもしれない、どうしよう」

としか考えられない
「依存マインド」を植え付けられた人間ばかりです。

 

企業とか就職とか年金とか、
そういうシステムがあたかも有史以前から存在し
これからも変わらない確固たる基盤として扱われ、
それらに依存することを前提に制度が作られている。

 

今の社会システムがそれほど絶対的なものなのでしょうか?
違いますよね。

「企業」も「就職」も、
もちろん「年金」も「結婚」も、
すべてこの100年ほどの近代化の中で人間が作り出したもの。

そして、いまだ発展途上な制度です。

制度なんてどんどん変わります。
おそらく100年後の子孫たちから見れば、
今のぼくらの生活は笑えるほど不自由で、理不尽で、
意味のない非効率な制度に縛られて
生きているように見えるはず。

今、僕らが100年前、大正時代の歴史を見て
そう感じるように。

 

なのに、今ある制度を唯一絶対の真理として
絶対服従を強いるなんて、アホの極みですよ。

人間を過信しすぎです。
不完全な我ら人間の作った制度が、
そんな絶対の真理に値するわけがありません。

それは歴史を少し知っていれば自明のはず。

なのに
「このルールが絶対正しい!」
「何も考えず従え!」と服従を強いる。

これはもはや「教育」ではなく、
動物相手の「調教」です。

 

続きます。
>>日本の教育は教育ではなく「調教」じゃないですか 2/2

 

 

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管理人:ゆうしん

元中小企業の営業マン。
鬱で退職後、不動産投資と転売で稼いだり、また鬱になって休んだり。

中学から不登校だったり、高校中退したり、高認取って大学行ったり。

そんな経験をふまえて情報発信してます。

生きづらさとか。
社会に対する問題意識とか。
なんか楽しいこととか。

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