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日本の教育は教育ではなく「調教」じゃないですか 2/2

目安時間 7分

どうも、ゆうしんです。

日本の教育は教育ではなく「調教」じゃないですか
の続きです。

子供を人間扱いしていない

日本の「教育」は教育と呼ぶにはふさわしくない。
どちらかというと「調教」に近い。

僕はそう考えます。

それは、根本にあるのが言葉による理解ではなく
不安・恐怖感を利用した操作だからです。

 

例えば授業中、生徒が反抗的な態度を取ったら
教師はまず怒ります。
(学級崩壊してなければ)

ここでポイントなのが、
本当に怒っているかどうかは関係なく
「怒っているように見せる」
つまりパフォーマンスであるということです。

「怒り」や「不快」という感情、
または「哀れみ」(見放す)という態度をことさらに強調して
感情に訴えることで、
“従わざるを得ない状況”に追い込みます。

 

これは大人 vs 子供 の、あらゆる場面で起こります。

例えばスーパーで買い物中の親子連れ。

レジに向かう途中、
子供が美味しそうなお菓子を手に取る。
親は「だめだめっ!買わないよっ!」
と強い言葉で静止する。

たくさんある商品の中で、
他を差し置いてそれを欲しいと思った子供の意思は
一顧だにしません。

大人の基準では「無駄な買い物」なので切り捨ててしまう。

 

帰り際、子供が駄々をこねて泣く。
親は構わず歩く。
10mほどの適度な距離を置いて、振り返って言う。

「置いてくよー!」
「バイバーイ!」

それを聞いて子供はさらにギャン泣き。

親は知らぬそぶりでゆうゆうと歩き出す。
(本当に置いてくつもりはないので、わざとゆっくりと)

子供は置いてかれる恐怖で激しく泣き、たまらず後を追う。

 

…まあ、よく目にする日常の子育て風景です。

「それがどうしたの?普通じゃない?」と思いますか?

これに何の違和感も無いとしたら、
あなたも「調教」されて育った可能性が高いです。

そして、あなたの子供も「調教」によって
思考停止したまま育つ可能性が高いです。

はい。ここまで強く言うのは、
僕はこの「調教」式の教育が大嫌いだからです。

 

自分の意思に反して、力で支配されて従わされるってのが
虫酸が走るくらい大嫌いです。

 

大人が設定する「いい子」の基準がある。
それを達成すれば「褒める」というご褒美を与えられるが、
達成しなければ存在価値はない。

生きるも死ぬも、あくまで大人の手のひらの上。

 

僕は子供の頃から、そういう大人の態度を批判的に見ていました。
それこそ幼稚園の頃から。

ほんと嫌いです。こういうの。

一方的な支配は5才までだよ

理屈ではなく、力で押さえつけて従わせれば
確かに大人が考える「いい子」にはなりますよね。表面上は。

「恐怖から逃れるため」、そして「ご褒美欲しさ」に
同じ行動を取るようになりますから。

でも、これって「教育」と言えるのでしょうか?

 

言葉によるコミュニケーションではなく、
恐怖や不安によって一方的に支配し操ろうとするのって、
人間ではなくペット、
いや「家畜」の扱いに近い気がします。

こういう指導は教育ではなく
「調教」と、明確に区別するべきです。

 

もちろん、物心がつく前の幼児に対しては、
理屈抜きで物事を教えないといけない時期もあります。

火の扱いとか、危険な場所に近づかないなど、
命に関わることについては、
恐怖に訴えかけてでも叩き込む必要があります。

 

しかし、それもせいぜい5才くらいまででしょう。

僕は3才頃から記憶がはっきり残っていますが、
5才頃にはもう今とあまり変わらない人格ができていて、
未熟ながらも、ちゃんと自分なりの考えを持っていました。

ボキャブラリーが少なくて表現できないだけで、
ちゃんと物事の道理も分かっているし、
自分なりの正義や価値観に従って判断をしていました。

 

でもこの国の教育制度は、「18才以下はすべて子供」で、
未完成でとるに足らない存在であり、
大人に一方的に支配されるべき下等な存在だと
定義しているようです。

 

この国の大人たちは、自分が幼い頃のことを
忘れてしまったのでしょうか?

大人から理不尽に抑圧されて反感を覚えたあの頃の記憶を
失ってしまったのでしょうか?

本当に不思議です。

 

僕は大人に抑圧されて反発した幼い頃のことを
鮮明に覚えています。

何かを教える時にはいちいち脅すように口調を強くしたり、
恐怖や不安を煽るやり方をする。

いくつになっても変わらず「調教」という手段で指導しようとする。

 

指導=調教。
それが日本の教育制度の基本姿勢だと記憶しています。

自立できないのも当たり前でしょうが

これじゃあ自立できないのも当たり前ですよね。

「意味」を考える機会を奪われ、
ひたすら「与えられる課題をこなすことだけが人生の目的」
刷り込まれて育ってしまえば、
自立なんてできるわけがありません。

「制度は正しい」
「お上の言うことは正しい」
という思考停止の人々が大多数になるのは自然なことです。

 

子供にとって、初めて目にする社会が「親」であり「家庭」です。

そこで「思考停止」が正しい、
「服従こそが成長」と刷り込まれる。

これでは、大人になってからも自ら社会を担う気概など
生まれるはずもありません。

 

この社会も人間が作り出したもので、完全ではない。

常にアップデートしていかなければいけないのに、
その発想はみじんもなく、
ただルールに従えばいい、
権威に服従してうまく立ち回ればいい、
と刷り込まれる。

思考停止な人間ばかりになるのも当然です。

 

「大人が絶対的に正しい」という教育はやめるべき。

「社会は自分たちが作っていくもの」という
当たり前のことを教えるべき。

 

まあ100年はかかるでしょうけどね。
(その前に日本は没落してるかもしれませんが…)

 

って感じで日本の教育について思う所を語ってみました。

ゆうしんでした。

 

 

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管理人:ゆうしん

元中小企業の営業マン。
鬱で退職後、不動産投資と転売で稼いだり、また鬱になって休んだり。

中学から不登校だったり、高校中退したり、高認取って大学行ったり。

そんな経験をふまえて情報発信してます。

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社会に対する問題意識とか。
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