なぜ仕事のやりがい・生きがいが感じられないのか
どうも、ゆうしんです。
日本は相変わらず停滞していますね。
先月発表された幸福度ランキングを見ると、日本はG7最下位の58位。
1人あたりGDP、実質賃金、その他様々な指標で次々と他国に追い抜かれ、今や日本は完全に没落しつつある「日・没する国」になっています。
なんでこうなったのか?
僕の実感として間違いなく言えるのは、「生きがいを感じられない国」になってしまっていること。
「何のために生きるのか」
ってことを見失ったまま、目の前の仕事や勉強や人間関係によって与えられる課題をひたすらこなすのみ。
虚しさを感じながら、日々生きている人が多い。
そう感じます。
その理由と、なせそうなったのかの単純な原因について僕の考えを述べます。
日本の給料の上がらなさは異常
何で生きがいを感じられないのか。
僕の考えでは、その答えはシンプルです。
「給料が上がらないから」です。
「昔は良かった」という人がいます。
高度成長、バブル期には、人々にエネルギーが満ち溢れ、世の中が明るかったと。確かにそうなんでしょう。
でもそれは何によるものか?
僕の考えでは、それは「目に見える成果」、具体的にはお金、「給料」が上がっていたからという、意外と単純な話じゃないかと思うんです。
日本は1997年以降の20年間、給料が上がっていない国です。
これは異常なことで、世界を見ると、まともな経済状態であれば、どの国も賃金はそれなりに上がっていっています。
イギリスなどは国策で最低賃金を上げ続けていて、1999年から年平均4.17%上昇し、2018年までの間に2.2倍になっています。
これによる弊害は特になく、失業率も改善していて、生産性も上がっているとか。
その他の国も、おおむね賃金は上がっています。
これ以前の歴史を見ても、賃金というのは一貫して上がり続けてきたのです。
資本主義の歴史は経済成長の歴史。
それに伴い、賃金も物価も、常に上がり続けてきたのは歴史を見ると明らかです。
日本の「失われた20年」は、その歴史に逆らっている異常事態なのです。
これを見ると、これほど進んだ豊かな国に生まれたにもかかわらず、なぜ生きがいを感じられないかがなんとなく分かります。
もちろん「給料が上がらないから」に尽きます。
「先に進んでいる実感」が生きがい=生きる意味
社会人として、この20年しか知らない人には信じられないと思いますが、昔は給料が年に10%、20%と上がっていった時代がありました。
1965年から1995年の30年間に、サラリーマンの年収はなんと11倍になっています。
団塊の世代である僕の父親が現役だった時代にぴったり重なります。
これだけ給料が上がり続ければ、未来は明るいと思うに決まってます。
もちろん物価も上がっていくのですが、とにかく社会が「先に進んでいる」「未来に向かっている」実感があったことでしょう。
給料も、物価もほとんど変わらない時代に生まれた僕は、社会に「停滞」しか感じられませんでした。
「やりがい」「生きがい」を感じられなくて当然だと思います。
でも給料が上がればそれは覆ります。
それは、僕自信が経験したことです。
たまたま景気の良い会社に入り、たまたま役職が付いたりと幸運が続き、どんどん給料が上がった時期があったんですね。
30才~33才頃の話です。
それはもう、高度成長期なみの給料アップでした。
仕事は決して好きじゃなかったのですが、それだけ給料が上がると、自分でも意外なほど「評価された」という喜びがあり、「会社に貢献したい」という気持ちが自然と湧いてきたんですね。
やっぱり、目に見えて数字で評価が現れるってのは大きいですよ。
日々会社に行くモチベーションが段違いでした。
昔はみんなこうだったんだと思うと、社会に活力があったってのも当たり前の話だと思います。
人間なんて変わらない。単純な話。
高度成長期~バブル期と、「失われた20年」と。
世代は1つしか違わないのに、これほど仕事へのやりがい・生きがいの面で大きく違うのは、おそらく「給料が上がっているか否か」に尽きると思います。
「豊かになっていく実感があるかどうか」と言い換えても良いかもしれません。
世代が変わっても、人間なんて大して変わらないものです。まして1世代で人間がこんなに大きく変わるわけがない。
給料を上げれば良い。
給料を上げずに物価だけ上げようというバカなことをしているから、日本経済がこんな体たらくに陥っている。
給料上げろ。
もうそれしかないんですよ。
それで社会に活力が戻るのは、イギリスが実証してくれています。
なのに未だに低賃金を少しでも維持したくて、外国人労働者を使おうとしてるし。
ほんとに、バカなんじゃないかと思います。
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