人はすぐ人を見下す。でも、だからこそ。
どうも、ゆうしんです。
今日こんなツイートを見かけて、ちょっと考えさせられました。
タバコをやめるとタバコを吸ってる人たちが愚か者に見えるし、禁酒すると酒飲みがバカに見える。この見下しが発生すると禁煙ファシズムになるのね。僕の性格に問題があるだけかもしれないけど、脳のバグとしてはけっこう危険だなと思った。
— 樫原辰郎 (@tatsurokashi) April 27, 2019
これ、けっこう大事な問題提起なんじゃないかなと思います。
自分が信じる価値観を唯一絶対のものとし、それに反する者たちを貶め見下すことで特権意識を味わう。
仲間同士結託してそれを確認しあい、さらに価値観を強固にする。
以下繰り返し。
ネット上では、とても良く目にする光景ですよね。
政治思想(右・左)、人生観、健康法、スピリチュアルなど、根幹にかかわるものほど、それが強いと感じます。
それがどこからくるものか。
僕たちはそれにどう対応すればいいのか。
そのへんを考えてみたいと思います。
目次
違う価値観を排斥し見下すのは、自分を守る「本能」
「脳のバグ」という表現は当たっているようで、ちょっと違うのかなと。
というのも、これはおそらくかつて種の生存と繁栄に必要な本能だったのでしょう。
(だからこそ今も残っている)
原始時代は価値観が違えばすなわちそれは「敵」だったわけです。
自分が所属する「群れ」は基本的に全員が同じ価値観を持ち、同じ行動原理で動いていました。
価値観とは、集団を律するための暗黙のルールや、原始的な宗教などですね。
それらに沿って生きることが絶対で、一生をその価値観で過ごす。
何十万年もの間、人類はそうして生きてきました。
価値観が違うということは、それは別の「群れ」の者であって、そんな人間が自分の見える所にいる。
そして自分と違う思想をぬけぬけと主張している。
非常事態です。
自分の価値観が否定される。
自分の存在が脅かされる。
下手をすれば群れが乗っ取られる。
…と、強い危機感を抱くようにプログラムされているわけですよ。
本能が発動しているんです。
それは遺伝的には正しい発動です。
だって、個の生存や、集団の繁栄に直接関わりない価値観なんて、あり得なかったからですね。
皆が同じ価値観を共有し、協力し合うことで僕らは生き延びてきたんです。
生物としては思想なんてなくても生きていける。でも狂信的に信じ、時には殺し合う。
でも今は、実体とかけ離れた価値観を僕らは信じ、それに従って生きています。
それは「宗教」や「政治思想」、「環境問題」といった壮大なテーマから、教育方針、貞操観念、経済感覚という信条の問題、果ては筋トレ、ワイン、音楽の趣味、糖質制限などの趣味嗜好・健康法まで。
どんなささいな問題でも、僕らは自分の信じる価値観に固執し、別の集団と対立したがる本能が発動しています。
そんなもん、実際は生きていくのに必要ではないですよね。
食べて寝て、子孫を残す上では、なくても何も困らない。
でも、時にはそれが殺し合いや戦争に発展することだってあります。
ここは、人類が乗り越えるべき課題だと思います。
「多様な価値観を認め合う」ところまで人類は進化してない。でも、だからこそ思うこと
文明は多様な価値観を認めることで発達してきました。
自分と違う価値観に本能的に拒否反応を示すってのは、これはもうしょうがないです。
でも、そこをグッとこらえ、「それはそれ」として、存在を認め合う。
そういう多様な価値観を容認する社会のほうが、結果的には発展してきたわけですよ。
それは歴史が証明していますよね。
封建制や独裁政治より、民主政治、自由主義の国のほうが栄えているのは事実ですから。
(もちろん“今のところ”であって、これから歴史がどう転ぶかはわかりませんが)
「人類みな兄弟」なんて幻想。人間は争うのが本能。
「世界平和」とかお花畑。理想論。
っていう、“自称リアリスト”な人たちを、Twitterでは良く見かけます。
でも、多様な価値観が混在し、本能に逆らいながらもそれを認め合うことで人類は文明を発達させ、ここまで人口を増やし、発展してきたわけですよ。
争いなんて、ない方がいいに決まってます。少なくとも個人レベルで言えば。
放っておいたら価値観は多様化します。
当然、人口が増えれば増えるほどそれは加速します。
だったら、争っててもキリがないじゃないですか。
価値観は違っても、とりあえず人類みな兄弟。
そういう共通意識をひとまず持って、争いはやめたらいいんですよ。
もちろん本能には逆らってます。
でもそれは進化が追いついていないだけだと思うんです。
多様な価値観を認められる人が評価され、認めない人が不利になる社会であれば、後者はいずれ淘汰されます。
その時、人類はもう一段階進化するわけです。
そこに向かって文明、制度を方向づけていく。
それは「お花畑」と揶揄される「理想主義者」の仕事なんだと思います。
もちろん、僕が生きている間には実現しない理想ですけどね。
でも世の中は良くなっている。と思っています。
長生きしたいもんです。
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