「苦痛」を読み取る仕組みが必要。「一億総キョロ充」社会は滅びるべし
どうも、ゆうしんです。
不登校とか社会不適合に関していろいろ考えていると、行き着くのが
「社会が悪いか、自分が悪いか」
という二項対立ですね。
個人が集まって社会ができている。
でもその社会が強くなって、個人を抑圧する。
勝手にできた別の生き物なんですよね、社会って、
で、規模が大きくなるほど、個人の意思を離れて社会が強くなる。
規模が大きい=人数が多い なわけですが、人数が多くなればなるほどコントロールは難しくなる。
それを補うのが「規則」であり、「権力」です。
集団が大きいほど規律は厳しくないと維持できないし、個人の力も弱まる。
同調圧力が強く、個人が権力者や集団の意思を勝手に忖度してふるまう。
総「キョロ充」化です。
今の日本では、個人の力は無に等しい。
価値観が多様化しているのに、その多様性を活かす仕組みになっていないんです。
せっかく芽生えた新しい価値観は、抑えつけられ、殺されるのみ。
これはひとえに社会が強くなりすぎたために起こっていること。
これを正すには、個人の感覚をちゃんと汲み取る仕組みが必要です。
僕たちが「これはおかしい」「こんな生き方・働き方は間違っている」と感じたその感覚をむげにせず、社会を改善させる貴重なヒントとして大事に扱う。
既存の仕組みに意義を唱えることが「わがまま」「空気が読めない」として却下してきたことがおかしいんですよ。
それも社会の一員である個人の偽ざるべき感情の発露なんですから。
それを無視してきた結果が、今の日本の没落につながっているのは間違いありません。
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