不登校

人間は「強制されてかろうじてまとも」なのか

目安時間 8分

どうも、ゆうしんです。

 

不登校YouTuberの子供が炎上してましたが、それ関連でこんな漫画の引用がツイッターで流れてました。

「最強伝説黒沢」という漫画の1シーンで、「学校に行きたくない」と主張する息子の話を、父親が聞いている場面です。

 

例の不登校YouTuberの「学校に行きたくなければ行かなくていい!」という主張に対して、この漫画を引用して反論してた人がけっこういたんですね。

「学校なんて、行きたくなくても無理に行くもんだ!」
「学校に行かないなんて野生児だ!」

と。

RTもいいねもたくさんついてました。

 

漫画だからわかりやすいし、拡散するのも分かります。

今までどおり「学校に行くのが当たり前」にしておきたい人々がこれに飛びつくのも。

 

でも、不登校・引きこもり→大学進学→サラリーマンを10年→脱サラ…と、どちらの立場も経験した自分からすると、この漫画のシーンはとても賛同できません。

 

この引用した4ページを見て「確かにそうだ」と頷いてしまう人は、残念ながら従来の日本の学校教育に心の底から洗脳されてしまっている人だと思います。

 

「野生児」と「ロボット」。どっちも極論ですよ

強制されず…自分の気持ちに正直って…

んなもん野生児じゃねえか…

と、このお父さんは言ってますが、なんですかその極論

なんで学校に行くか行かないかを自分で選ぶことが即「野生児」になってしまうのか。

 

それって結局「学校に行ってたらロボットになってしまう」ってのと同レベルの極論ですよね。

 

「ロボット」という極論をあれだけ批判しておいて、「野生児」っていう極論には「そうだそうだ」と賛同し、ドヤ顔で引用してる。

何か変じゃないですか。

 

「強制されて、人間はかろうじてまとも」

っていうのも、ただ強制に抗えずに不本意な人生を送ってきた人が、自分の人生を肯定するために無理やり言い聞かせている言葉に聞こえます。僕には。

 

強制される以外、人間は生きる道はない、と。

そうでないと人間じゃない、と。

 

そんな常識…いや信仰が、「強制されたくない」「自分の人生は自分で選ぶ」と主張する人の存在によって崩壊してしまうから、認めるわけにはいかないんですよね。

必死です。

 

そりゃ極論に極論で対抗してしまうのも無理はない。

 

「流されろ」って。子供の人生に責任持てるんですか

まあこれはあくまで漫画ですし、作者の福本氏がそう考えているわけでもないと思います。
(多分。そう思いたい…)

 

でもたった4ページの漫画ですが、さすが上手いしいろいろ考えさせられるシーンです。

 

僕は一概に学校を否定しているわけではありません。

強制的に通わせることに問題もありますが、それによって知識や一般常識、コミュニケーション能力を効率的に身に付けられるわけで、優れた仕組みだと思います。

 

でも、結局その仕組みを作るのは人間であり、人間が作る以上、完璧な仕組みなんてあり得ない。

全ての人にぴったり合った仕組みなんて実現不可能です。

 

その判断は、本人にしかできません。

「お前は流されろ、流されずには生きられない」なんて、人から言われるべきことじゃない。
たとえ親でも、です!

 

「流されろ」という親の命令で本当に流されたとして、後悔しないという保証はありません。

 

中年になってから「やっぱり自分の好きな道に進めば良かった…」と後悔するかもしれない。

でも、時すでに遅し。もう若い時期は帰ってこないのです。

 

親はその時、もう年老いているか、またはもうこの世にいないかもしれない。

 

一生親が面倒見れるわけじゃない。

だからこそ、子供の人生は子供の意思を尊重して決めるべきだと思うのです。

 

「生きるのに必死な人が後進を育てられるのか」問題

親はもちろん子供を指導する立場にあります。

この世に生まれたばかりで右も左も分からない子供を、なんとか一人で生きていけるように導いてあげないといけない。

 

でもそれは「自分で生きていく力を身に付ける」ってところまでです。

「どう生きるか」を決めるのは、あくまで自分です。
そこまで親が決めようとするのは、越権行為だと思います。

 

繰り返しになりますが、親が一生面倒見れるわけじゃないんだから。

 

この漫画では、親の苦悩が絵に表されてますよね。

 

不登校の息子より、それを正そうとする父親のほうが苦しんでいるように見えます。

 

この父親は、何もわからずに「強制されて」「無理に」「プレッシャーの中で」生きてきて、それしか生きる方法を知らない人なわけです。

そこから外れたら生きていけないと本気で思っている。

 

必死です。

自分が生きてきた世界しか知らず、生きるのに必死。

そんな人が次の世代をどう育てていけるというのでしょうか。

新しいことは「くだらない」「危険」と排除し、自分が生きてきた、いや「生き延びてきた」そのままのやり方を教えることしかできない。

これを俗に「老害」と呼びます。

 

 

これからの世界がどうなっていくか。
今、育ちつつある世代が何を考えているか。自分はどうそれに対処するべきか。

そんなことを考える余裕もなく、ただ「自分はこうやってきた」というやり方を教えるだけ。

旧石器時代ですか。

そんなんだと、何万年も同じことを繰り返すのみですよ。

 

旧石器時代は、ずっとそうだったわけですよね。
親の世代がやってきたことを、ただ繰り返すだけで良かった。

 

今は違います。
1世代どころか、5年10年で世界はガラッと変わる。

 

だから、親世代には変化を受け入れる余裕が必要なんです。

一生「プレーヤー」のままでは、次の世代を育てられない。
どこかでプレーヤーを卒業して「コーチ」にならないといけないってことです。

 

でも、今の日本は逆行してますよね。むしろ「生涯現役」を求められている。

 

死ぬまで「プレーヤー」で、生きるのに必死だと、後進の指導もままならない。

そんなことは分かりきってると思うのですが、お偉いさんには分からないのですかね。

 

それが続いた結果が、目の前のことしか見えないこの漫画の父親みたいな人間を生み、それにこぞって賛同する悲しきツイッター民を生んでいる気がします。

 

そりゃ日本の競争力も低迷しますわな。


(スイスIMD社調査)

 

 

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

コメント

トラックバックURL: 
管理人:ゆうしん

元中小企業の営業マン。
鬱で退職後、不動産投資と転売で稼いだり、また鬱になって休んだり。

中学から不登校だったり、高校中退したり、高認取って大学行ったり。

そんな経験をふまえて情報発信してます。

生きづらさとか。
社会に対する問題意識とか。
なんか楽しいこととか。

カテゴリー
サイト内検索