通勤電車は男女別にしろ。お願いだから
どうも、ゆうしんです。
「痴漢には安全ピンで対抗したらいい」
「いやそれはやりすぎだ」
という議論がTwitterでされてました。
痴漢は最低な行為です。
安全ピンで迎撃したくなる気持ちもわかります。
でも、僕はこれには反対です。
痴漢を擁護しているのではありません。
「こんなことになってしまう今の状況自体が間違っている」という立場です。
これおかしいだろうと。
この状況をほったらかして安全ピンだの何だの言ってても、根本的な解決にならないだろうと。
そう思う立場です。
男性の性衝動が軽視されすぎだと思う
何が言いたいかというと「男女混合の満員電車」そのものに無理があるって話です。
いや、トランスジェンダーの方など、見た目では性別が分からない場合もありますから、「男女混合」と言い切ってしまうのも良くないのかもしれませんが。
とにかく、生物学的には人間に「男」と「女」ってのがいて、お互いがお互いを利用して子孫を残すために生まれてきているわけです。
それはもう、生まれてきた目的は生殖のためと言い切っても過言ではない。
遺伝子を残すための装置。
悲しいですがそういう一面はあるでしょう。
特に男性はその傾向が強い。
第二次性徴期以降、強烈な性衝動が寝ても覚めても常に付きまとうやっかいな生き物なんです。
同時に、それを抑える理性も育っていきます。
だから、大半の男性は直情的な生殖行動には移らない。
でも、だからと言って、それが消えるわけではないんです。
涙ぐましい努力で抑えているだけ。
そこで無理やりに抑えつけた衝動は、どこかで発散するか、違った形で消化するかしないといけないのですが、それができない人もいる。
できない場合、悲惨な結果を招く。
事件を起こしたあの男。容疑者が、「衝動を抑えられない変質者」だったのか?
そうは言い切れないと思うのです。
その性特有の「致し方ない事情」を汲み取る
この世界はまだまだ発展途上です。
「文明とは価値を汲み取る技術である」
ってのは、僕がたどり着いたこの世の真理の一つですが、まだまだ文明の光の当たらない分野は数多くあります。
その一つが「性」というものだと思うのです。
男性、女性、という生まれついた特質に関わらず、存分に能力を発揮し、この世に価値を生み出すことが必要。
女性特有の生理。
男も女も、生殖によってこの世に生まれたわけですが、その生殖のために必要な排卵や月経、生理痛や経血の排出、それに伴う心身の様々な不調。
これらを男女でいえば「女」だけに負わせてきた。
の意味では男はラクをしてきたわけです。
そして、男の側から見ると、常に精子を排出したい欲求、女性を求める性衝動に四六時中苛まれる刑罰を課された。
あまりに長期間それが満たされないと、どんな手段を講じてでも達成しようとする。
例えば痴漢。
女性に触れたい欲求を叶えること。
それがエスカレートした例として、容器に貯めた体液を見知らぬ女性にかけるというパターンがあります。
これ、もう悲しすぎませんか。
もはや実際に生殖するという目的は二の次で、それに類似した行動を取ることで擬似的に本能を満足させるのです。
服の上から体液をかけたって、その女性が妊娠する確率は0.0001%もないですよね。
それでも、やってしまうのです。
哀れ。
その一言に尽きます。
でも、それを「男がバカだから」と片付けてしまって良いのか?って思うのです。
男は、この数十年で急にバカになったのでしょうか?
違いますよね。
男は変わっていないし、女も変わっていない。
それぞれの事情があるのです。
社会実験の結果。アウトー!!なんですよ。満員電車は。
ってことを踏まえた上で。
満員電車は「仕方ないもの」として受け入れられているわけですが、じゃあいつからあったのか?
調べてみると、日本では電車通勤が普及してずっとあるみたいですね。
日本終わってますね。
そう言っちゃうと身も蓋もないのですが、明治時代からずっと、都会では満員電車で通勤するのが当たり前になってるみたいです。
うーむ。
これはなかなか手ごわいですね。
もはや日本の伝統と言ってもいいかもしれない。
でも、これで良いのかと言えば、そうは思わない人のほうが多いと思うんですよ。
満員電車はしんどい。
そして赤の他人が密着する場所で、男女混合であるというのは絶対におかしい。
結果を見れば明らかです。この場では、男性の性衝動を暴走させる仕掛けでしかないということ。
明治から100年経って、もう社会実験の結果は明白でしょう。
男女を分けるべきなんですよ。
なんでこんな当たり前のことが議論されないのか。
まだまだ日本は文明国じゃないんだなと思いますね。
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