避けられる困難は避ける。人生は漫画じゃない。2/2
どうも、ゆうしんです。
の続きです。
「選択肢がなかった時代」の負の遺産
「困難から逃げてはいけない」
「仕事はつらいもんだ。文句言わず耐えてこそお金が稼げるんだ」
みたいなのは、今の日本には必要のない「負の遺産」だと思います。
昔はこれが必要だった時代もあったんでしょう。
まだ日本が貧しく、労働需要も今ほど多くない。つまり働き口が少ない。なのに労働人口は多い。
つまり、雇う側が圧倒的に強い時代。
そんな時代に、雇われる側が文句を言うなど不届き千万。
「仕事があるだけでありがたい」という“超・買い手市場”だったわけです。
そこで「仕事が好きじゃない」「合わない」などという理由で仕事を辞めるなんざ、単なる“わがまま”で、生きる資格のない「落伍者」だったわけですね。
でもね。
社会状況はそうかもしれませんが、事実「合わないもんは合わない」っすよね。
みんなそうです。
なので、それに耐えるための理由付け、言わば「教義」として、
「仕事はつらいもんだ」
「給料はガマン料。つらいことに耐えてこそお金が貰えるんだ」
という「労働者の心得」みたいなものが生まれた。
武田鉄矢さんが作った「母に捧げるバラード」という曲の中に、こういう歌詞が出てきます。
歌詞というか、語りの部分ですね。
死ぬ気で働いてみろ、テツヤ。
働いて、働いて、働きぬいて、
遊びたいとか、休みたいとか、そんなことおまえ、いっぺんでも思うてみろ。
そん時ゃ、そん時ゃテツヤ、
死ね!それが、それが人間ぞ。
それが男ぞ。
いやーーー、すごいですよね。
遊びたい、休みたいといっぺんでも思ったら、その時は「死ね!」って。どんな地獄ですか。
もちろんこれは、あえて極端に言う「フリ」なところがあると思います。
極端を「演じている」というか。
「世間の厳しさを子供に教える親としての役割」。
それを演じる中で出てきた、ことさらに強く教える「フリ」をする表現という面はあります。
「遊びたいなんて思ったら、死ね!」なんて表現は、今だと「バカなの?」と思ってしまいますが、貧しかった時代にはこれが自然だったんでしょう。
「仕事とはつらいもんだ」というのは、そういう時代にできた人生観で、それがアップデートされず残ってしまっているのが僕たちの不幸な現状です。
雇う側に都合の良い労働者意識。再生産の構造
社会が豊かになって、「働いて、働いて、働きぬいて」みたいに死ぬ思いで働かなくても、生きていけるようになった。
でも、相変わらず世間では「働かざる者食うべからず」であり、レールから外れたら生きていけないとされている。
学校でも社会でも、陰に陽にそう教えているんですよね。
教師や親がそう思っていなくても、教育体制、ひいては社会全体がそれで動いている。
だから、刷り込まれてしまうんです。
さらに、それで育った子供たちが大人になって、同じ価値観を子供に刷り込む。
これは「雇う側に都合が良い」ので、変えようというインセンティブが働かないからなんですよね。
法で規制して、強制的に変えるくらいしないと、ずっとこのままです。
この状況が平成の30年、いやもっと前からかな、続いてきたわけです。
「苦労は必ず報われる」って漫画みたいなストーリーを信じた結果
でも、人生は漫画じゃないんですよ。
現実は残酷です。
苦労が必ず報われるわけじゃない。
苦労して苦労して、いつまでも苦しみ続けて、そのまま定年退職を迎える人が大半でしょう。
漫画なら、主人公は苦労した後に必ず報われるようにできています。
それを現実世界でも信じることができたのは「苦労が報われるシステム」を一時的にでも実現できたから。
それを支えていたのはベビーブームによる人口激増だったので、出生率を爆上げできない限り、同じシステムは今のところ実現不可能です。
皆が信じていたシステムが崩壊した。
でも、それにみんな気づいて無いですよね。
破綻したシステムの上でいくら頑張ったって、無駄なんですよ。
なのに、ここに至ってまだ「苦労は必ず報われる」と頑張っている人のなんと多いことか。
大企業に入ったら安泰かと思ったら倒産、リストラだし。
弁護士や歯科医が食いっぱぐれる時代だし。
ニュースみてたら「学歴や資格なんて当てにならないな」って誰でも分かるんですけど、かといって他にどんな道があるってのよ。
厳しい世の中だからこそ、今のシステムにしがみつく。
当然です。
今のシステムがおかしいことは薄々分かってる。
でも、他に道はない。
だから現状維持しかない。
むしろ大企業が信用できないからこそ逆に「信用できる大企業はどこか??」と鵜の目鷹の目で探さないといけない、みたいな状況。
ちゃうんですよ。
そこを脱した新しい生き方が必要なんですよ。
で、まさに僕はそれを提案していきたいと思ってます。
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