「似ている曲」って気になりませんか
どうも、ゆうしんです。
僕は音楽が好きなのですが、わりと若い時から困った癖があって、
「この曲は◯◯という曲に似ている」
と、すぐに脳のライブラリから検索してしまうのです。
最近だと、少し前にも記事に書いたあいみょんさんの「マリーゴールド」という曲。
前の記事では「自分の好みじゃない」とだけ書いていたのですが、ほんとのところは小沢健二さんの「さよならなんて云えないよ」という曲にメロディーが似ているから微妙な気持ちになって聞けない、という理由でして。
(小沢健二さんかなり好きなので…)
もちろん似ているから「パクリだ!」とか糾弾するつもりは全くないです。
何万とリリースされるうち似ている曲があるのは無理もないことで、むしろ少しずつ影響しあって良い作品が作られるのですから、似ていていいのです。
ここで言いたいことは、「似ている」と感じた時に、それ以降その曲を聞く気にならなくなってしまうという、自分の中の問題。
どうしても「その曲」が出てきてしまって、素直に聞けなくなるんですよね。
年々その傾向が強くなっていく
「あ、似てる」と感じる傾向は年々強くなっていて、特にこの10数年は多いですね。
長年音楽を聞いてきて、単純に知っている曲の数が増えたってのもあるのですが、どうもそれだけじゃない気もするんですよ。
何というか、過去のいろんな作品がほんの少しずつごちゃまぜというか、細かく切り貼りして作られているような曲が多いと感じます。
繰り返しますがもちろんパクリとか言いたいわけでないです。
名曲からインスパイアされて作った曲は当然似てきますし、オマージュという手法だって昔からあります。
ここで言っているのは、そういうのとはだいぶ違う。
(音楽理論や歴史には詳しくないので、あくまで僕の感覚ですが)
「色」で例えると、赤にインスパイアされて作った作品は、まんま赤ではないけど近い赤系の色、例えば朱色や赤紫といった色になる。
これは「似ている」って状態です。
でも、最近の曲は、遠目に見たら赤紫に見えるんですけど、
赤赤青赤赤青赤赤青赤赤青
って感じで、「元ネタ」の赤がほぼそのまま残ってるんですよね。
でも青というオリジナル部分が入ってるから違う曲にはなってて。
僕の考えでは、これは音楽の「大量消費化」が進んだためかな、なんて思ってます。
音楽の消費の仕方がCD→ダウンロード→ストリーミングと、どんどん「大量消費」になるにつれ、作曲者の中にも素材となる曲が桁違いに増えます。
過去のいろんな曲、それも良く売れて耳に残っているフレーズが、当然出て来やすい。
さらに昔と比べて一曲一曲の重みが減り、すごく売れて有名な曲でもたくさんある曲の一つに埋もれやすい。
「あの曲に似てる」なんていちいち考えることもないって感じです。
インスパイアの対象になるような曲も、昔であれば何十回と聞いて、頭の中でこねくり回した結果、似ているけど別の色になって出力された。
今はそんなのんびりした時代じゃない。
なんせ一日何十曲、何百曲だって好きなだけ聞けるわけで、一曲こねくり回すよりも、次の曲を聞いたほうが新たな発見がありますからね。
そんな時代に作られた曲は、前述のように遠目で見ると新しい曲ですけど、解像度を上げると「アレとコレとアレの切り貼り」だったりして…
有線で流れてくるアイドルの曲を聞いてると特にそう感じますね。
まあ、それも一つの創作の形で、そこから全く違う新しいものがポンと生まれてくるかもしれません。
実際、日本の流行歌のレベルは上がってると思います。
アイデア満載だなー、って、聞いてて思う。
でも、それはたぶん過去のアイデアのサラダボウルなんでしょうね。
どっちにしても聞いてて飽きない、面白い時代ですけど。
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