不登校を否定する人は「学校しか知らない人」だから気にしなくていい
どうも、ゆうしんです。
Twitterなどでの不登校に関する議論を見ていると、ん?と思う発言をよく目にします。
最近違和感を感じたのは
「学校は勉強だけするところじゃないんだよ?」(゚∀゚)
という、謎の上から目線で「指導」したがる人。
「学校は社会性を身に付ける場でもある」ってことを言いたいんですね。
確かにそのとおりです。
“人間関係”とか“ルールを守ること”といった社会生活に必要な能力を、多くの人は学校で学んでいる。
でもちょっと待って。
なぜそれが「絶対学校じゃないとダメ」なんですか?
学校が合わない人はどうすればいいんですか??
ていうか、学校がなかった時代の人は、どうしてたんですか???
学校以外を知らない、狭い狭い世界で生きてきた人
当たり前ですが、今の学校制度なんてこの百年くらいでできたもので、ずっと存在していたわけじゃないです。
そして、人が作ったものだから万能ではない。
学校が合わない人も絶対いるんですよ。
その事実に目をそむけ、
「学校は全国民にとって最良の教育機関」
「学校に行く以外の人生はあり得ない」
というのが今の学校教育の建前になっています。
ちょっと、いくらなんでも怠惰すぎやしませんか?
って思います。
人間を指導する機関にあるまじき、思考放棄ですよ。
どうしても学校が合わない人もいる。
それは事実なんですから、そこから目をそむけるべきじゃないです。
学校が合わないのであれば、それ以外の集団でそれを身に付ければいい。
単純な話です。
「学校に行かないと社会性が身に付かない!」と主張する人は、申し訳ないが視野が狭い。
無知ゆえに「学校以外の集団」が想像もつかない人なんでしょう。
学校以外の生活の場を知らないので、「学校に行かない状態」が「(病気などで)学校を休んでいた時の自分」しか想像できない。
だから「学校に行かない = 家にずっといる」って思ってしまうのかな?と想像します。
あとは「引きこもり」とか「ニート」についてのマスコミの報道から来る暗いイメージですかね。
「学校に行けた人」だって、もちろんラクしてたわけじゃない
まあ、人間は自分の想像の範囲でしか物事を考えられないわけで、それはしょうがないです。
「頑張ってもどうしても無理」ってくらい学校が合わない人はやっぱり少数派であって、多数派の人にはなかなか理解されにくい。
さらにこの問題がやっかいなのは、学校に合う人・合わない人ははっきり区別できるものではなく、「合わないのに無理をして学校に行っている(行っていた)人」もたくさんいるってこと。
以前にも引用した漫画「最強伝説黒沢」のこのシーン
「無理に行くんだよっ!学校なんてもんは…!」
このセリフは多くの人が共感すると思います(Twitterでも賛同の声が多かったです)。
学校に行けていた大多数の人でも、やっぱり多かれ少なかれ学校は嫌なところで、行きたくないけど無理して行っていた記憶があるからですね。
一切悩むことのない幸せな学校生活を送った人なんて、そうそういないでしょう。
みんな頑張って、無理してでも学校に行っていたんです。
無理してでも頑張って学校に行った。
↓
そのおかげで今の自分がある(大学に行けた、就職できた など)。
↓
やっぱり無理してでも学校に行くのが正しい!
経験上、そうなってしまうのは無理もないでしょう。
周りもそういう人ばかりですからね。
「悩みながらでも学校に行っていた人」=結局「行けた人」であって
でもそれはあくまで個人の経験であって、全員に当てはまるわけじゃない。
悩んでいようがなんだろうが、学校に行けた人は、やっぱり「行けた人」なんですよ。
悩みの深さに関わらず、結果的に「行く」ことができた。それは事実なわけで。
悩みながら、迷いながらも学校に行くことを選択した。
その決断と努力は、尊重すべきものでしょう。
でも、それができない人もいるし、「すべきでない人」もいるんです。
その判断は他人にできるもんじゃない。
本人の人生ですから、本人に委ねるしかないんですよ。
どうしようもなく合わない人に「でも学校に行くべき!」と押し付けて、無理やり学校に行かせて、心を病んでしまったとしたら、あなた責任取れるんですか?ってことです。
一度メンタルを病んでしまったら、回復はそう簡単じゃないですよ(経験者談)。。
それでもあくまで全員が学校に行くべきと主張する人は、前述のように視野の狭い、自分が生きてきた範囲でしか物事を考えられない、想像力のない人です。
今、不登校で悩んでいる人に伝えたいのは、そんな視野の狭い人の言うことを聞く必要はないってことです。
それがたとえ親であっても。
自分の人生の責任を取れるのは自分だけですからね。
[まとめ]
・「学校に行かないと社会性が身に付かない」と言う人は“学校しか知らない人”
・学校に行けた人だって、もちろん頑張っていたし、時には無理して行っていた。
でも「どんなに無理しても学校に行けない人」もいる。
・行くべきか休むべきか、それは本人にしか分からない。それを選ぶ自由は保障すべき。
P.S.
「なんとなく」とか「単なる怠け」で学校に行かないなんて、そんな強靭なメンタルの持ち主はまずいないです。
この「全員が学校に行くべき」が当たり前の世間に逆らい続けるのって、よほどの理由がないと無理ですよ。
(経験者なら分かりますよね)
みんな密かに悩んで、やむにやまれず行きつくのが不登校という状態です。
表面上は悩んでる気持ちは見せないですよ。だから周りには「突然休み始めた」と見えるんです。
でも実はいろんなことで傷ついて、悩んで、その結果が現れただけ。
それを何も考えず「怠け」とか「甘え」などと言って押さえつけて無理やり学校に行かせようとすることが、どれだけ暴力的なことか。
どれだけ子供の心を踏みにじっているか。
これは何度でも繰り返し訴えたいですね。
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