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今なお引きこもりです

目安時間 6分

2020年、改めて情報発信をがんばろう、と思ってますが、なかなか行動できないもんですね。

思えば10代の半分は引きこもりでした。

その後、人並みに大学に進学したり、就職したり、起業などもしてみましたが、どこか仮面をかぶって「演じている」感が拭えず、精神的には14歳くらいの引きこもりのままなのかなと思っています。

自分が何をしたいのか、どう生きたいのか。

分からないまま、です。

そんな自分のまま、情報発信していきます。

自分なんてない。そういう国です

でも、この国では多くの人が「自分とは何か」なんて分からないまま生きています。

「何のために生きているか?」
「あなたが生まれてきた意味は?」

なんて聞かれても、99%の人は「え…うん……えっと…」って詰まってしまうと思います。

自分が生まれてきた意味、日々まさに生きている意味そのものを問われても、答えられない。

そんな状態で「漠然と」生きています。

それでも平気なのは、「忙しいから」です。

まともに(健常者として・社会人として)生きていれば、1日24時間のうち、どんなに少なくとも12時間は「与えられる課題」に忙殺されます。

仕事が8時間で終わるとしても、拘束時間はそれだけではありませんよね。

朝の支度。
通勤。
残業。
同僚との飲み会。
次の日の準備…
「自分が何をしたいのか」なんて考える暇もありません。

息つく間もなく次の課題・次の課題。

必死にこなしているうちに、否応なしに 明日が やってきます。

これが平均的な日本人の姿です。

「自分が本当に何をしたいのか」
なんて、考えられない。
いや、考えてはいけないのです。

みんながそれを考え始めてしまうと、経済がストップしてしまいますから。

考えずに流してくれているからこそ、社会は円滑に回っているのです。

「自分」なんてどうでもいい。
「何がしたいか」なんてどうでもいい。

とにかく生きていくために。
食いっぱぐれないために。
人より多くお金を稼ぐために。

そういう外からの圧力、いわば「世間体」のみで将来を決める。そんな人が大半ではないでしょうか。

行動できないのは当たり前

みんながそんな状態であれば、行動できないのは当たり前です。

そもそも自分の意思を持って、自ら行動することが「悪」なんです。

この部分、あまり誰も論じていないように思えるのですが。
(僕の不見識かもしれません。であればそれを論じている本など教えてほしい)

「決まったことを絶対とする」
「体制に反し、空気を乱す言説を悪とし排除する」

いわゆる「KY」を悪とし、決まりごとに従う「いい子ちゃん」が正しいとする世間の風潮。

それを受け入れられる人はいいのですが、そうでない人もいる。

受け入れられない人が、自分なりに考えて何か行動したなら、「ワガママ」と言われ、集団から排除されます。

これは、戦前からずっと続く日本の軍隊式学校教育の絶対的なセオリーです。

これを植え付けられているのだから、自ら行動できないのは当たり前なんです。
「自発的な行動は悪」とする教育制度に、小・中・高とどっぷり浸かって生きてきたのですから。

そこから脱するには、その小中高12年の洗脳を振り払うくらいの強烈な逆洗脳か、貧困などの特殊な環境、または生得的な資質が必要です。

具体的には
・小中高の洗脳が、何らかの理由で不十分だった
・家庭など育った環境がよほど特殊だった
・本人がよほど特殊な資質を持っていた(精神疾患・発達障害など)
といった理由です。

僕の場合は、11歳あたりで学校に合わない自分を自覚し、13歳頃に精神疾患を自覚したことがそのきっかけでした。

みんなが当たり前にできていることが、自分にはできない。
自分を殺して、ロボットのように同じ動きをすることがどうしてもできなかったんです。

それは、逆に言えば自分の意思で行動しなくなる訓練を受けていたわけです。
僕はそれを受け入れられなかった。

でも、受け入れている人が大半。
そういう教育を、今の日本の学校教育では一生懸命行っている。
そりゃみんな行動できなくなりますよ。

引きこもりは行動している

その視点から見ると、「引きこもり」っていうのはある意味「行動」してるんです。

今の決まった社会体制に「No」を突きつけ、そこから外れた道に退却しているわけですから。

逆に、何も考えず言われたままに従っていれば引きこもりになんてならないわけです。

話がだいぶ横道にいきましたが、とにかく「行動」っていうのは、自らの意思を発揮せず、誰もが行きつく凡百の道ではない。

自ら求めて、違う場所に移動して掴み取る、希少な道です。

引きこもりってのは、少なくとも前者の凡百の道ではないわけですよ。

自らの意思で選んでいるんです。

でも、その意思を、それを選ぶことができた資質を、十分に活かすことができない学校教育、社会制度になっているってことです。

型にはまった凡百の道以外は「落伍者」とみなされるのが常識なんです。

僕は今なお引きこもりです。

この引きこもりのまま、少なくとも引きこもりの精神を保ったまま、社会をより良く、弱者が住みよい場所に変えていける手助けができたらなと思ってます。

 

 

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管理人:ゆうしん

元中小企業の営業マン。
鬱で退職後、不動産投資と転売で稼いだり、また鬱になって休んだり。

中学から不登校だったり、高校中退したり、高認取って大学行ったり。

そんな経験をふまえて情報発信してます。

生きづらさとか。
社会に対する問題意識とか。
なんか楽しいこととか。

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