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「自己責任」について【この単語キライ!】

目安時間 4分

「自己責任」って単語、この20年ほどで広まりました。

僕はこの単語が好きじゃないです。
こういうブログとかの文章や、批判的な意味を別にして、
実際に使ったことがない。

僕の辞書に「自己責任」って言葉は入れたくないです。

でもこの言葉、最近よく聞きます。多くは批判的なニュアンスで。

イヤです。きらいです。
できれば葬り去りたい単語です。

その理由と、なぜ自己責任って言葉が広まったかみたいな話をします。

結論を言うと今の日本が「病んでる」っていう話になります。

「どこからどこまで」自己責任か考えたことあるか

例えば「貧困」、日々食べるのにも困るような状況について、
「自己責任」と切って捨てる人たちがいます。

まあそれも一つの考えでしょう。
それを一概に否定はしません。

でも、だったら一貫性を保ってほしい。

 

自分の努力でどうにかできることなら、確かにそれは自己責任です。

でも、たとえば奨学金で300万円借金をして大学に進学したAさんと、
全額親に払ってもらって借金ゼロで進学したBさんと、

同じ土俵で戦うのって不公平じゃないですか?

 

自分の努力以外で決まる要素を全て排除してこそ
「自己責任」ってもんです。

これを徹底するなら、
「親が金持ちで学費を払えたか」
「幼児期の教育がどうだったか」
「身の安全は確保できていたか」
「栄養状態に問題はなかったか」
「学校は荒れていたか」
「友達は多かったか、優しかったか」
「習い事をどれだけさせてもらえたか」
それらの環境要因をすべて排除して考えないと意味がありません。

 

そこまで考えて言ってる人は、まずいないでしょう。

でも、よく聞け。
これらを考えずに「自己責任」なんて、アホ言えってこと。

マイナスの「自己責任」

もっと言えばその逆、環境における「プラスの要因」も考えないとダメです。

わかりやすい例は、「医学部」に進学した人

親が金持ちで、何千万円という学費を惜しみなく払ってくれたから
あなたは医学部に進学できたんでしょう。

ごく少数の、裸一貫で奨学金なり借金なりを
自分がすべて背負って進学した例外的な苦労人を除けば、

ほとんどの医者は、今自分が世間的に高い地位の職業に就いていることについて
半分は

「申し訳ない」

という思いを持っていなければいけません。

「自己責任」を徹底するのなら。

 

だって、医師になれたのも何割かは「自己責任」以外の要因が
占めているわけですからね。

その地位につけたのは、半分はあなたの努力じゃないんですよ。
ゲタ履かせてもらって、何を偉そうにしているんですか。

って話ですから。

「マイナスの自己責任」とでもいいますか。

 

貧困層について「自己責任じゃない!」って論も大事ですが、
それだけじゃ不十分です。

富裕層にも「あんたのその貯金額も、自己責任じゃないよ」
(あんたが偉いんじゃないよ)
ってことを常識にせにゃらんのでは?と思います。

 

 

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管理人:ゆうしん

元中小企業の営業マン。
鬱で退職後、不動産投資と転売で稼いだり、また鬱になって休んだり。

中学から不登校だったり、高校中退したり、高認取って大学行ったり。

そんな経験をふまえて情報発信してます。

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