未分類

初詣は日本の伝統?行かないとバチあたり?【僕は行ってません】

目安時間 4分

ゆーしんです。

2020年に突入して、早いもんで10日経ちましたよ。

メンタル好調な割には思うようには仕事が捗っていませんが、
まあやれることを淡々とやるだけです。

初詣行ってないんですが

ところで「初詣」って行きました?

僕は行ってません。
年明け2~3日くらい体調が悪かったのもあるのですが、
なんだか必要性を感じなくて。

去年までも行ったり行かなかったりだったし。

 

それについて、うちの母親が「えぇーー!」と本気でびっくりしてました。

というか軽く怒ってました。

曰く、
「初詣は日本古来の伝統」であると。
「正月は必ず初詣に行って、無病息災を神様に祈願してくるもんだ」と。

 

うん。まあそれが普通の感覚なのはわかるんですけど、
そうじゃない人もいるんですよね。

 

特に僕みたいな「世の中には何でもウラがある」と子供の頃から
うがった見方をするクセがついている人には、

「初詣は日本の伝統!」

という常識を素直に信じ続けることは不可能なんです。

「起源」とか「根拠」をすぐに気にして、
何かあれば調べずにはいられない性格なので、
普通に生きていたら必ずどこかで「ウラ」を知ってしまうことが
多いからです。

初詣って習慣、いつから?

ウラと言っても、別に「知る人ぞ知る」みたいな特別な情報じゃなくて、
普通にウィキペディアにも載ってるようなことです。

普通は別に気にしないから調べない、
調べないから知られていない。それだけの話。

 

てことで、以下はウィキペディアより抜粋です。
(Wikipedia 「初詣」の項目より)

元々は「年籠り」(としこもり、としごもり)と言い、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神神社に籠る習慣であった。

「年籠り」形式を踏まず、単に社寺に「元日詣」を行うだけの初詣が習慣化したのはそれほど古い時代ではなく明治中期のことで当時の鉄道会社が神社とキャンペーンをして遠方の有名神社へ初詣する風習を作り出したとされている。

知らない人にはかなり以外な事実だと思います。

元々は家長=「一家の主」だけが大晦日の夜から元旦に
地域の神社に集まるものだった。
つまり「家族揃って元旦の朝に」じゃなかったんですね。

 

そして、今の初詣が習慣化したのは、なんと明治中期
つまりたった100年程度の歴史しかないってことです。

しかも、その発端が「鉄道会社のキャンペーン」って。

 

一応言っておきますが、起源がそうだからと言って
「初詣には意味がない!」と言いたいのではないですよ。

みんながそれを受け入れて、しかも100年も続いているってことは
その習慣は必要であって、意味があったってことですから。

 

ただ「日本古来の伝統だから行かねばならぬ!」は違うよね、
てことを言いたいだけです。

 

伝統・ルールを疑わない国民性ですが、それによる不幸もあって

まあ伝統を重んじる、というか信じて疑わないのは日本人の特質ですね。

僕から見るとものすごく権威主義的に見えます。

決まりや伝統に文句を言わず従う姿勢を見せることで
「自分は大人である」「人間として優れている」とアピールする。
そんな人が多いように思います。

 

僕のようにやたらルールを疑う人間は、
「わがまま」であり「子供」であり、不真面目とみなされます。

日本人なのに、日本人に向いてない。

ごく少数ですがそういう人は確実にいるんですよね。。。

 

ちょっとここから長くなりそうなので、続きは明日に。

 

 

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前  (必須)

メールアドレス (公開されません) (必須)

コメント

トラックバックURL: 
管理人:ゆうしん

元中小企業の営業マン。
鬱で退職後、不動産投資と転売で稼いだり、また鬱になって休んだり。

中学から不登校だったり、高校中退したり、高認取って大学行ったり。

そんな経験をふまえて情報発信してます。

生きづらさとか。
社会に対する問題意識とか。
なんか楽しいこととか。

カテゴリー
サイト内検索