マインド

仕事が面白いとか、面白くないとか

目安時間 11分

ゆうしんです。

 

あなたは、今の仕事が面白いですか?

充実していますか?

一生続けたいと思いますか?

 

YES と答えられる人は、幸せです。

人生の大半は、仕事をして過ごす時間ですからね。

 

定年まで働くとすると、いったい何万時間を仕事に使うか…

 

その膨大な時間を、面白く充実して過ごせるなら、
そんな素晴らしい人生はありません。

 

でも、そんな幸せな人はむしろ少数ですよね。

「生活の為にしかたなく働いている」という人が大半ではないでしょうか。

 

もちろん、少数とは言え、仕事が面白くて仕方ない人はいます。

「仕事が趣味」というくらい仕事が好きな人も、確かにいます。

 

これ、一体何が違うのでしょうか。

 

生まれ育った環境、

出会った友人、

本やテレビなどのメディア。

 

それぞれの性格や考え方にもよりますし、
選んだ職種や、職場の人間関係も、大きな要因です。

 

こればっかりは運の要素が大きい。

 

好きな仕事で食べていける人なんてほんの一握り。

仕事ってのは面白くないもんだ。

みんなつらくても耐えてるんだ。それが普通だ。

 

たいていの人は、そう考えていると思います。

 

しかし、僕はそれは違うと思うのです。

全ての人は、できる限り「楽しく、面白く」仕事をするべきだと
思っています。

 

なぜなら、人間は面白いことをしている時が一番充実しているし、
一番力を発揮できるからです。

 

面白くないなあ、と思っていると、頭も働かず、成長もストップします。

 

人間は、本質的に「成長したい」と思っている生き物です。

 

何の成長もない、つまらない作業を続けていると、
どんどん精神的に疲弊していきます。

 

面白いことをしたいと思うのは「本能」であり、
面白くないことを無理にするのは、本能に逆らう行為なのです。

 

それを踏まえた上で、今回は生きる上で避けて通れない
「労働」というものについて、考えてみたいと思います。

 

「労働」とは何か。過去と未来

 

人間の歴史を振り返ると、労働の形は大きく変わってきています。

 

狩猟・採集の時代から、農業へ。

やがて産業が発達し、分業と労働集約による大量生産の時代へ。

 

労働力を一箇所に集めて、効率化を図り、生産力を最大化する。

それにより、文明は飛躍的に発展しました。

 

その結果、現代の私たちは、高度な文明社会を享受できるようになりました。

 

100年前、いや50年前と比べても、はるかに便利で快適な生活に
なっていると思います。

 

いつでもどこでも、誰もがスマートフォンを使っている今の世界を
誰が予想できたでしょうか。

 

約50年前、1961年の人が100年後を描いた未来予想図はこんな感じ。

 

「がいとうテレビ」なんてのはいかにも高度成長期の発想ですね。

1人1台ちっちゃい画面(スマホ)を持ち歩く時代なんて、
想像もつかなかったのでしょう。

 

逆に空飛ぶ車はまだ実現してません。
2061年までにはドローンのタクシーくらいは
実現するんじゃないかな、と思いますが。

 

話が脱線しましたが、とにかくこの50年ほどで、文明はものすごく発展しました。

でも僕は、まだまだ過渡期だと思うのです。

 

この高度で快適な文明社会は、国民の労働によって作られ、維持されています。

皆が一日の大半の時間、一生懸命働いているからこそ、
この社会は成り立っている。

 

なのに、その労働の中身や、
それが人生においてどんな意味を持つか、
その仕事に取り組むことで人生を充実させられるか、
という視点で見ると、
「ほとんど何も考えられていない」状況だと思うのです。

 

確かに、昔に比べると労働者の権利は守られるようになりました。

「ワークライフバランス」という言葉も近年は一般的になり
長時間勤務も見直されるようになっています。

 

しかし肝心の「仕事の内容」については何も変わってない。

「ただ分業をしただけ」の段階で止まっています。

そして、だいたいにおいてその仕事は面白くないのです。

 

分業が進めば進むほど、その仕事が持つ全体の意味が見えにくくなり、
単なる「作業」に成り下がってしまうからです。

 

仕事は、人生の大半の時間を費やす大事なもの。

仕事に充実感を感じられるかどうかで、
その人の人生が幸せかどうか、大きく左右されます。

 

なのに
「いかに仕事にやり甲斐を感じられるようにするか」
「イキイキと面白く取り組める仕事にするか」

という視点が、労働者にも、そして雇う側の経営者にも
全く欠けていると思うのです。

 

人のために役立つこと。

社会に貢献すること。

それも仕事の大きな意義です。

 

でも、それと同じくらいか、もしかしたらそれ以上に、
自分が楽しく充実して仕事をすることも、また大事なことだと思います。

 

「仕事はつらいもんだ」という時代はもう終わりにしよう

僕が今まで働いた企業の中では、こういう視点を持った人は、
一人もいませんでした。

 

誰もが「仕事は面白くないのが当たり前だ」と思っていました。

 

だから、自分から無理やり面白さややりがいを見出して
会社生活に「適応」していくしかない状況でした。

 

こういう事を言うと、必ず
「仕事とはそういうもんだ、甘えるな」という声が飛んできます。

 

しかし、僕はそうは思いません。

まだ産業革命から百数十年。
企業、労働の形もまだ過渡期であり、これからもどんどん
変わっていくと思います。

 

これまでは生産性を上げる事が最優先で、
肝心の労働者が仕事をする上での「充実感・満足感」
ないがしろにされてきたと思います。

 

自殺が一番多いのは、月曜日の早朝だそうです。

その事実だけ見ても、仕事がつらすぎる、仕事のストレスが大きすぎる
何よりの証拠ではないでしょうか。

 

生きる糧を得るためにある「仕事」なのに、その仕事から逃れるために
自ら死を選んでしまう。

そんな不幸なことは、あってはならないと思います。

 

それは、さきほどのような

「仕事はつらいのが当たり前」とか、

「耐えられないのは甘えだ、社会人失格」だ、という

あまりにも社会と企業側だけに都合の良い「常識」
引き起こしている悲劇だと思います。

 

生産性を上げて、産業を発展させるのには大いに役立ちますが、
そればかりを優先させて、
肝心の社会をつくっている人間が不幸に陥っていては
本末転倒ではないでしょうか。


何のために生きてるか分からなくなります。
少なくとも、僕はそうでした。

 

これは、ワークライフバランスだけの話ではなく、
「仕事そのもの」、仕事の中身の話です。

 

いくらプライベートが充実しても、
仕事の時間が面白くなければ
人生の半分は死んでいるようなものだからです。

 

いかに面白く仕事をするか、仕事を通じてどう自己実現するかという視点で
仕事のやり方、働き方を見直す時に来ていると思います。

 

仕事にやり甲斐を感じ、「仕事をしている時が幸せ!」と思えたら、
そんなに素晴らしい人生はないでしょう。

 

「仕事はつらいもんだ」という時代は、絶対に終わらせるべきです。

 

「やりがいがない」のは本人のせい?

仕事がつらい、やる気が出ない、というのは、もちろん
本人に問題がある場合もあります。

 

しかし、こんなにも仕事で自己実現できていない人が多いというのは、
何かがおかしい。

人も社会も病んでいるように見えます。

 

経済効率のみを優先して、
労働者が一方的に犠牲になっている結果ではないかと。

 

これは結局、労働者の「人生の充実度」と引き換えに社会を維持している
すぎません。

多くの会社もその犠牲の上に成り立っている。

 

「やりがい」は個人の問題ではなく、社会が発展する上で不可欠な原動力です。

 

それを各個人に任せるのではなく、職場が、親が、学校教育が、
労働そのものによって「いかにやり甲斐を与えられるか」について、
今一度考えていくべきです。

 

それをやらずに放置し、
個人に問題を押し付けている今の社会はおかしい。

 

雇う方は、いかに労働者に「仕事が面白い!」と思わせられるか。

雇われる方は、いかに面白く仕事をするか。

 

お互いにその視点が少しでもあれば、多くの人の人生が
今よりずっと充実した、幸せなものになると思うんですよね。

 

というわけで、ゆうしんでした。
お読みいただきありがとうございました!

 

 

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管理人:ゆうしん

元中小企業の営業マン。
鬱で退職後、不動産投資と転売で稼いだり、また鬱になって休んだり。

中学から不登校だったり、高校中退したり、高認取って大学行ったり。

そんな経験をふまえて情報発信してます。

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社会に対する問題意識とか。
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